2018年12月17日
  • 真の目覚めを求める方のために

マインドフルネス瞑想会の報告

  • 2018年11月25日

11月23日マインドフルネス瞑想会が開催されました。
今回は瞑想会の報告と合わせて私自身に最近あった出来事と合わせて書いてみたいと思います。

今年9月からスタートした関屋でのマインドフルネス瞑想会も3カ月目を迎えました。
いつものように、準備体操、内観、チャクラの浄化、呼吸法と瞑想前の準備を行いました。

今回の内観のテーマは「悲しかったこと、辛かったこと」でした。
テーマについて少し考えて思い出したことなどを語ります。
皆の前で自分のことを話すのは少し勇気がいります。
それでもそこで自分の気持ちをありのままに正直に話すというのは浄化の大きな助けになります。

私は今回は「悲しかったこと、辛かったこと」と聞かれたときに、
もうそういう感情が何も思い出せなくなっているのにちょっと驚きました。
サットサンガに参加し始めて二年半が経とうとしているのですが、
参加当初は幼少期の頃の感情がまだありありと思いだされて、辛い気持でいっぱいでした。

それが毎回参加している中で、何層にも重なった様々なエネルギーの滞りが解放されていって、
とうとう、もう「悲しかったこと、辛かったこと」と聞かれたときに、あのころはこんなことがあったという
出来ごと事体の記憶はあっても、感情としての辛さや悲しみはまったく思い出せないのです。

実は少し前に、とても大きな感情の解放が起こっていました。
ひとつ前のブログの中でも書いたのですが、
それがまさに出て行こうというときに、初めてどんなに厚い雲となって人生の色合いに影を投げかけていたか...と気づくような深いところにあったものでした。

それがどんな感情だったかというと、「恨み」の感情でした。
何とも言えない鬱屈した恨みの感情で、これはこの人生だけの感情ではない、何転生も持ち越した過去世からのもののように感じていました。

それを手ばなした時に、さらに深いところからの安らぎと平和を感じられましたし、
何か栓が抜けたような感じでスシュムナーがようやくまっすぐになったような感じがしました。

それくらいとても大きなエネルギーだったのでしょう。

ただ、その大きな感情の塊が取れた後に、その背景になっている思念が出てきました。
それは「こうでなければいけない」とか、「こうあるべきだ」とか、「そんなの当たり前…」
というような思考で私個人のものであると同時に、より集合意識的なもののようにも感じました。

内観の「悲しかったこと、辛かったこと」という質問の後にもうひとつ、
「最近ストレスに感じたこと…」というお題が出たのですが、それにはすぐに思い当たることがありました。

「それは自分が出来ていないと責められているように感じたこと」でした。
先に書いた、「こうでなければならいない」「こうあるべき」という思念は自分とほとんど一体化していたものだったので、
その気持ちが人からこうみられているという風に投影になって感じられたのです。
それも解放の途中で起こっていることだったので、すぐに自分が素直になれていなかったということに気がつくことが出来ました。

内感が終わって少し静かになる時間があり、そしてチャクラの浄化、呼吸法の後に瞑想に入りました。

瞑想会の二回目の参加者の方が今回は前回より深く瞑想に入れたとおっしゃっていました。
瞑想の時間が終わってからも、このまま長く座っていたいとおっしゃっていたので、
ナーナ先生が「ここの場ではいくらでも座っていたいと思うでしょう。」と仰って
以前はサットサンガの方で昼間の開始から夜まで通しで一日参加されていた人たちもいたということでした。

瞑想会の後、参加者の方のお話を聞いたのですが、以前からこの道の第一人者の先生について瞑想や修行を続けて来られたそうです。
その先生が亡くなられて自分で瞑想をしていたのですが、やはり師が欲しいということでこの瞑想会を見つけられたそうです。
ナーナ先生の顔を見てすぐにナーナ先生が本物の方だと分かってとても嬉しかったそうです。

初めての方でも、本当に求めている道の先生だと分かれば積極的に参加されるようになります。
少し以前にも長いこと勉強されてきたのですが、座学だけでは悟っていけないということに疑問を感じて、
サットサンガの方に参加された方がいます。
すぐにプラナーナのエナジーが分かって出会えたことに感激され方も参加しています。

目的が真我に目覚めて行くことであれば小さな自我には捕らわれることなく同じ道を歩む同志になれるのです。

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